ポジティブ・チェンジbyDAIGO を読んで
本を読んで満足しているだけじゃ何も変わらないなと最近思うようになって、自分なりにインプットした知識を整理してしっかりアウトプットしていこうと思い記事にした。
その第一弾はメンタリストDAIGOの本の「ポジティブ・チェンジ」
もともと心理学に興味をかなり抱いていたので手にとってしまった。
本をちゃんと読むようになってから学んだことの一つとして、変わるのには自分が一歩踏み出すしかないということを嫌という程学んでいた自分は、啓発本を読んでは意識高くなって、意識が低くなってきたらまた啓発本を読むとういサイクルでそれじゃダメだなって思っていた矢先、「人は変化を嫌う」という言葉が、今の自分の置かれている状況の原因を解明してくれたおかげでサクサク読むことができたと同時に新たな試みを思いつかせてくれた本だった。
最近の自分の口癖が面倒くさいになっていた自分は何かとワクワクすることでも何故か面倒くさいと感じてしまい行動ができなくなってしまっていた。
要は色々と考え始めてしまい、それで欲求が満足されてしまうとのことである。
頭はいらない
根拠はいらない
希望はいらない
この三つが変わる原則の3ルールと定義していたが読み進めていくうちに納得させられていた。
アイセックの代表も終わり、三回生になり変化を求められている自分の脳が最大限の拒絶を図っているんだなと実感した。
今まで学んだ、変わりたいなら自分が一歩踏み出さなければならないということは、言い換えれば、変化を嫌う自分と戦い、変化を求め行動しなければいけないということである。
常に新しいことを意識するとういことは僕にとってはかなり斬新な方法論であったため正直、読んでいてもこのことで頭がいっぱいであまり他の内容を覚えてないというのが正直な感想である。笑
この本を読んだことでDAIGOの他の著書にも興味が湧いてきた。別府に帰ったらちゃいよーに借りようと思う。
もう一つ実践しようと思っているのがTo DO LISTの作成だ。寝る前に付箋に次の日必ずやることを3つ書き出し優先順位をつけて全て重ねる。そして次の日は一番上のものからやっていくという方法だ。その時に2番目以降は手をつけてはいけないというルール。見てもいけない。これも春休みが終わったら挑戦していきたいと思う。
あと、嫌な奴を利用するって考え方も斬新だった。これはまたの機会に挑戦しよう。
こんな感じで自由気ままに本を読んで感じた事と、どのようにアウトプットしていくかを書いていきたいと思う。
2016年3月5日
日本代表として東南アジア青年の船に参加すべき4つの理由
こんにちは、しょうちゃんです!
初めてブログを訪れてくれた方はまずこちらから!
内閣府の行っている国際交流事業の一つに
『東南アジア青年の船』という事業があります。
自分は2016年にこの事業に参加しました。
是非たくさんの人にこの事業に参加してほしいと思い
この事業の大きな魅力を4つ紹介したいと思います。
東南アジア青年の船とは?
そもそも「東南アジア青年の船」という言葉を聞くのが初めてという人もいると思うので、どのようなものなのか説明したいと思います。
「東南アジア青年の船」事業は、昭和49年1月のインドネシア共和国、マレーシア、フィリピン共和国、シンガポール共和国及びタイ王国の各国と日本国との共同声明に基づいて始められた事業であり、これら東南アジア各国(これに、昭和60年度からはブルネイ・ダルサラーム国が、平成8年度からはベトナム社会主義共和国が、平成10年度からはラオス人民民主共和国及びミャンマー連邦共和国が、平成12年度からはカンボジア王国がそれぞれ参加)の積極的な参加と協力の下に、日本国政府(内閣府青年国際交流担当室)が実施しています。
この事業は、日本と東南アジア10か国の青年が、「東南アジア青年の船」に乗船し生活を共にする中で、各国事情の紹介や討論を行うとともに、船内及び訪問国において各種交流活動を行うことにより、相互の友好と理解を促進し、あわせて日本の青年の国際的視野を広げ、国際協調の精神のかん養と国際協力における実践力の向上を図り、もって国際化の進展する社会の各分野で指導性を発揮することができる青年を育成するとともに、青年による青少年健全育成活動等の社会貢献活動への寄与を目的として実施しています。*1
要約すると、
11カ国の青年約330名とにっぽん丸という船に乗船し、船内で交流を深めながら、各国を訪問するというものです!!
詳しい活動内容に関してはこちらの内閣府のページをご覧になってください!
参加国
参加国はこの事業の名前の通り、日本とASEANの国々が参加国となっています。
各国の参加人数が約30名なので計330名程が参加人数となっています。
参加国一覧
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日本
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ベトナム
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タイ
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カンボジア
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シンガポール
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インドネシア
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ブルネイ・ダルサラーム
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ラオス
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マレーシア
-
ミャンマー
-
フィリピン
この計11カ国がこの事業の参加国になります。
4つの理由
東南アジアに興味を持っている人にとっては魅力的な事業ですが、そうではない人はこの事業の名前を見ても感心を持たない人が多々いると思います。
そこで、どんな人でも参加したくなるであろう4つの理由をお伝えしていこうと思います。
日本代表として活動できる!
東南アジア青年の船は、各国から選ばれた青年が参加します。
日本参加青年も都道府県選考から始まり幾つかの選考を超えて内閣府から選ばれて活動するので、日本代表として活動することになります。
つまり日の丸を背負うのです!!
自分たちの行動が日本代表としての行動になるため、国際儀礼などを事前に学習します。
各国で行われるレセプションや表敬訪問などでは国際交流というよりも、外交に近い要素の方が大きいので、普通では体験することのできない経験をすることができます。
内閣府からスーツやネクタイなども支給され、日本代表ということを意識させられます。
プレッシャーも大きいですが日本代表という経験は今後の人生に大きな影響を与えること間違いなし!!
豪華客船で52日間のクルーズを経験できる!
この事業の名前にもあるように私たちの活動を支える家となる船があります。
その船こそが豪華客船のにっぽん丸なんです!!
日本や東南アジアの国を訪問していない大半の時間をこの船の中で生活をします。
にっぽん丸で国内クルーズをしようと思ったら、2泊3日で最低でも10万円はします笑
そんな豪華客船で1ヶ月以上も生活できるなんて贅沢中の贅沢です!
船内の様子についてはこちらをごらんください!
毎日三食ブュッフェスタイルだし、大浴場もあるし、バーまであります!
そんな恵まれた環境で国際交流できるのもこの事業の魅力の1つだと思います。
ASEANの青年達と家族のようなつながりを持てる!
これこそがメインなのですが、この事業を通じて本当に家族のようなつながりを持つことができます。
船の中は言ってしまえば逃げ場のない特別な環境です。
360度見渡す限り水平線。
そんな船では必然的に他国の青年と交流し、助けあわなければ生きていくことはできません。
留学や語学学校に行く人の中には現地で知り合った日本人と交流してばっかで、勿体無い経験をしてる人もいますが、この事業ではあまりそのようなことは起きません。
なぜなら、船内の活動のベースとしてディスカッションの時間があるのですが、どの国も同じ人数配置されているので、すべての国の青年と議論することができます。
また、生活母体となるグループも同様となっており、日本人がマジョリティーを占める機会があまりないです。
なので彼らとの交流は日常となります。
もちろん、意見が衝突したりカルチャーショックを受けることもたくさんありますが、それらを乗り越えていくことで、家族のような絆を作ることができます。
また寝室となる客室は実は3人部屋で、他国の青年と一緒に寝ることになります。
私の場合はブルネイ(真ん中)と、シンガポールの青年(右側)がキャビンメイトでした。
客室の中では夜中にお互いの生い立ちやこの事業に参加した理由、将来の夢や恋バナなど、本当にたくさんのことを話し合いました。
こうして毎日、濃い時間を共にすることで将来にわたって関わっていける関係を構築することができます。
5カ国でホームステイすることができる!
海外旅行に行ったことのある人はいると思いますが、ホームスティしたことがある人はあんまりいないと思います。
留学経験があって、その時にホームスティしたもんね〜ってドヤ顔している人も中にはいると思いますが、、、
この事業では5カ国にホームスティするんです!!!
5カ国にホームスティした経験のある人は滅多にいないはずです。
いたらドヤ顔で教えてください。笑
昨年のこの事業では、
日本、ベトナム、タイ、シンガポール、インドネシアでホームスティしました。
日本?!って思った方もいると思うのですが、基本ホームスティは1人ではせず、他の国の青年と一緒にホームスティします。
これもこの事業だからこそできる経験だと思います。
ちなみに私は栃木でホームスティをミャンマーとラオスの青年としました。
ホストファミリーに日光東照宮に連れて行ってもらいました。
日本でホームスティできるのもこの事業ならではだと思います。
日本の文化を伝える良い機会になり自分も新たな日本の良さを再発見できます。
まとめ
いかがだったでしょうか??
東南アジア青年の船に魅力を感じてもらえれば幸いです。
冒頭にも記載しましたが、今年度の追加募集が始まっております。
どんな人が参加しているのか?期間や費用ってどれくらいなんだろうといった不安も出てくると思いますが、私たち参加青年が運営するFacebookページに疑問を解消できる記事を投稿しているので目を通してみてください!
Facebookページhttps://www.facebook.com/sseaypjapan/?hc_ref=NEWSFEED
*1:内閣府HPより
【閲覧注意】ベトナムで出てきたゲテモノ界の重鎮ホビロンとは!?
シンチャオ!しょうちゃんです。
初めてブログを訪れてくれた方はまずこちらから!
今回はゲテモノ界の重鎮ともいえるホビロンを紹介させていただきます。
これはベトナムのホーチミンでホームスティをしていた時の話です。
ホームスティさせてもらった家族は7人家族で英語が使えるのは娘さんのみでしたが、みんなとても優しくて楽しい時間を過ごしていました。
そんなホームスティ経験を通じてベトナムの文化を平穏に楽しんでいたのですが、
夕食後のおじいちゃん(写真一番右)の一言によってとんでもないカルチャーショックを受けることになります。
その一言が、
「お前に食べさせたい卵がある」
娘さんがベトナム語を英語に通訳してくれていたのですが、
おじいちゃんがどうしても食べてもらいたい卵があるらしくて、食べるかどうか聞いてきました。
夕食を食べた後だったので、なんで卵?と思ってましたが、どんな卵が出てくるのか気になったし、断りづらかったこともあって、食べる!と返事をしました。
この時はまだホビロンだとは思わず、、
食卓に出してくれるのかと思っていたら、外に案内され、近所のお店に連れて行かれました。するとたくさんの卵が出てきました!
そうそれがホビロンだったのです!!
見た目は何の変哲も無い卵ですが、これがゲテモノ界では有名のホビロン!
他にもバロットと呼ぶ地域もあります。
ホビロンとは、東南アジア発祥の卵料理。
ホビロンはベトナム語。他に、バロット(フィリピン語)、マオダン(中国語)といった呼び方がある。ゆで卵の一種で、アヒルの卵を孵化直前に茹でたもの。
調理方法のシンプルさと値段の手ごろさから、フィリピンやベトナムの東南アジア諸国ではごく一般的に食べられている。
栄養価は高く、滋養強壮の効果がある。
ゆで卵とはいっても、体のできかけたアヒルの雛が茹った状態で出されるため、(日本人にすれば)見た目が非常にグロテスクに感じられるかもしれない。
Googleの画像検索にて、「ホビロン」「バロット」で検索すれば簡単に見つかるし、pixivにもイラストが投稿されているが、閲覧には十分注意していただきたい。
はい、まさかホビロンだとは思ってませんでした。
ベトナムでは卵の上の部分を割ってスプーンで中身をすくって食べるのが主流です。
栄養価がすごく高いため、妊婦さんが滋養のために食べるそうです。
中を割ったときの見た目は言わなくてもすごいことになってました泣
しかし、ベトナムのビール333を5缶以上も飲んでいて、いい感じに出来上がっていた私は拒絶することなく食べちゃいました笑
1個だけではなく3個も(笑)
かなり滋養を高めました笑
見た目は抜きにして味に関して言うと
めっちゃ美味しい!!
鶏肉と卵を鶏ガラ汁のスープと一緒に食べてる感じ。
そのまま食べてもいいんですが、タデの葉っぱと、ライム、塩の3種類が付け合わせで出されるのでそれをつけて食べても味が変わって美味しかったです。
ベトナムでは普通に食べられてるものだと思ってましたが、
後でベトナム人の友達に聞いたらそうでもないらしいです。笑
ベトナムでは100円もしないで食べれますが
なんと東京のアメ横でも買えるらしいので挑戦してみたい方は是非食べてみてください。
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電気もガスも水道もない山岳少数民族の村にホームスティした話。
そんな四年前にその時感じたことを記録していたのでここに記載させてもらうことにしました。
名言の力
こんにちは!しょうちゃんです!
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大学生の時に大分県に一人暮らししていたのですが、実家に帰った時に
自分の荷物を整理し始めていたところ一冊のメモ帳を発見しました!
確か中学受験の時からだったと思うのですが、このメモ帳に名言をメモりまくって、通学の電車の中で読んでた記憶があります。
受験中は逃げ出したい気持ちと常に戦いながら頑張っていた時期であり、そんな自分を支えてくれていたのがこのメモ帳でした。
勇気をもらう時もあれば、喝を入れてくれる時、自分を肯定してくれる時、その時の自分の状態に応じて響き言葉は違っていましたが、おかげで逃げずに受験を勝ち抜くことができました。
受験が終わって中学に入ってもずっと付け加えながら読んでいた記憶があります。
常に先輩や両親、先生など様々な人生の先輩からいただいた言葉に力をもらい背中を押してもらっています。
言葉の大切さに早いうちから気づかせてくれたおかげで数多くの成長ができたんだなって思います。
またいつメモ帳を無くしてしまうか分からないので書いてあった言葉たちをここにも残しておこうと思います。
続きを読むカニ座のワタシ、カニアレルギーになる。
こんにちは!しょうちゃんです。
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はい。タイトルの通りです。
突然カニアレルギーになりました。笑
人生初のアレルギーです。泣
ちなみにカニは大好物です。
一生カニが食べれなくなる悲しみ。。
こんな人生の大事件とも言えるべき悲しき出来事を記したいと思います。
事件の発端は2週間前。
岩手に祖父母が住んでいるため毎年定期的に生きたカニを送ってきてくれます。
2週間前も活き活きしたカニを送ってくれて夕飯に食べました。
その時にスーパで買ってきたカレーパンも食べました。
そしてその日の夜に、身体中が痒くなり鏡を見てみると、
蕁麻疹が発症してました!
そのまま、痒みにうなされながら朝を迎えると腫れが引いており治ってました。
親父が昔、カレーパンで蕁麻疹になったことがあり、その時はカレーパンが原因だと思ってました。
だってカニって思うわけないじゃん。
毎年食べてるんだもん。
こうして人生初の蕁麻疹が発症しカレーパンが原因として事件は幕を閉じたはずだったのですが、3日前に事件は急展開を迎えたのです。
うちの家族は親族間での中が比較的よく3/11から2泊3日で旅行に行きました。
初日の夕飯がバイキングでカニも食べ放題だったので、ひたすらカニばっか食べてました。
夕飯を済ませて、みんなで宴会をしている時に急にお腹の調子が悪くなりずうっとトイレにこもっていたのですが、飲み過ぎ食べ過ぎだと思い、宴会を楽しんでました。
そしてその夜、痒みの悪夢が襲ってきてまた蕁麻疹が発症したのです。
その時にあっカレーパンじゃなくてカニだったんかーいってことに気づき、ひたすらカニばっか食べていた自分を責めながら痒みとともに朝を迎えました。
前回が朝になったら腫れが引いていたので今回も大丈夫だろって思っていたら全然引いてなくて親族に心配され病院に送られ旅行中なのにベットで横になり点滴を打ってました。
本当に
なんて日だ!!
って感じでした。泣
後で調べてみると、先天的なアレルギーじゃなくて、細菌型のアレルギーだったらしく、カニを食べた時に何らかの細菌が体内で増殖してそれを防ぐために蕁麻疹が起こり、体がカニを食べると勝手に反応するように学習してしまい、アレルギーになってしまったらしいです。
これで僕が食べれない食べ物が、キュウリとカニというマリオとルイージ的な色合いな感じになりました。笑
他の甲殻類が平気かどうかまだわかってないので、体を張ってアレルギーチェックしていきたいと思います。笑
東南アジア青年の船を終えて
こんにちは!しょうちゃんです。
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先日、2月26日に第43回東南アジア青年の船事業報告会を終えて、この船旅もついに終わりを迎えました。
まだ事後活動が残っているとはいえ、ここで一区切りです。
昨年の報告会に参加してこの事業に挑戦することを決めた為、ちょうど1年間この事業に捧げたことになります。
あっという間だったような長かったようななんとも言えないこの感じは寂しさを与えてきます。
そんな胸にぽっかーんと空いた穴を埋める為にこれまでのMy SSEAYP Journeyを振り返っていこうと思い記事を書いてます。
参加を決める以前は、正直なところ参加したくなかったというのが本音です。
なんか他人に決められたレールを歩きたくなかったし、大学で活動していたNPO法人もこれといった成果を出すことができずに形としては後輩に押し付けて逃げる形になっちゃうしと言った具合に言い訳を並べていた自分がいました。
でも正直な所、自分に自信がなかったってのが本音です。
全く会ったこともない日本も含めて11カ国の青年たちと逃げ場のない船の中で52日間も一緒に活動することが、ワクワクよりもビクビクのが強かったから。
でも、報告会に声をかけてもらって参加したらビクビクよりもワクワクのが強くなって、とりあえず参加希望するだけするかという浅はかな気持ちで申し込んだ結果、周りに迷惑をかけてしまい、気づいたら受かることに必死になって無事合格できたのを覚えています。
船に乗るまでの準備期間では、協賛係として一夏を過ごしました。
その頃はすごい日本参加青年に対して仲間いしきよりもライバル意識がすごくて、協賛係も誰にも負けない成果を出したいって思ってすごい頑張ってました。
なんかAIESECで培った知識や経験がすごい役に立つことを実感しててそれを周りに証明したかったんだと今思えば思います。
まさかこの頑張りに比例して船の中での協賛係の仕事が増えて辛くなるともその時は知る由もありませんでしたが。笑
そしてプログラムが開始して日本国内活動が始まった時が心も体もボロボロでした。笑
この事業の中で一番辛かった時期はそこだと思います。
SGと呼ばれるこの事業の活動の中で最も長い時間過ごすグループで栃木に行った時が最も辛かった。
というのも最終事前合宿で体力は持ってかれており、そんな状態の自分に追い打ちをかけるかのような言語の壁にぶつかり瀕死状態になってました。
というのも彼らの英語が全く聞き取れなくて何言ってるのかわからないのに、日本での活動だからすごい頼られて、その期待に応えられなくて凹むってのをひたすら繰り返してました。
栃木県でのホームスティマッチングで流れた動画で絢香の「虹色」の曲が流れた時に号泣してました笑
でも彼らがとても優しかったおかげでなんとかやっていけたって感じでした。
船の中では人間関係、言語の壁、企画力、異文化衝突などたくさんの辛いこともありましたが、その分楽しい事、一生忘れないような出来事など、本当に濃い時間を過ごしました。この事業に参加して本当に良かったって思ってます。
そんな船での生活では本当にびっくりするぐらい運が重なって、一番の人気者になれました。日本参加青年の中では一番の有名人になってやろうという野心があったのですが、全体での有名人になれるとは夢にも思ってませんでした。
それを実感した瞬間があって、その時の写真がこれです!
これが俺のSSEAYPでのベストメモリーなんですが、
青年同士の交流を深めるアイスブレイキングで、チーム対抗戦をしていた時の写真です。
一人の回答者がスクリーンに背中を向けて回答者以外の人がヒントを与えてスクリーンに映っているものが何か当てるゲームをしていました。
最後の問題が出題される時に最後のアンサーに引っ張り出されて答えられるか心配だったのに、問題がスクリーンに映し出された瞬間にメンバーが答えがあっていた時以上の興奮をしていて、まさかと思いながらMe?って答えるとスクリーンには自分が映し出されたいました。その時の写真です。
本当に色々な奇跡が重なって最高の思い出になりました。
そんな毎日が刺激的だった船旅も終わりはやってきました。
お別れするのは本当に辛かったです。
1か国ずつ船から降りていきお別れしていきます。
日本だけが最後まで取り残されて、いつもは騒がしいはずのダイニングホールで寂しさに包まれながら最後の昼食を食べてにっぽん丸から下船しました。
その時に絶対に世界一周してまたみんなに会いに行こうと決意しました。
船から降りてオリンピックセンターに行き、事後活動の話し合いをしていたのですが、
日本参加青年の副代表から声がかかり、報告会の実行委員をやってくれないかと打診があり気づくと実行委員長になってました。
実行委員長をやってみて感じたことは、
平等だった関係に役職がつき組織化されると組織を動かすのがすごい難しいということです。
あとはしっかり最初に目標やお互いの役職の立場を明確にできずに組織を動かしてしまったことで途中で辛くなる時期もありました。
AIESECでやってしまった反省を生かすことができなかった自分に憤りを感じたことも多々ありました。
やっぱ組織をまとめて動かすって一筋縄でいかないんだなって学べました。
でも、報告会は本当に素晴らしいものを作り上げることができたので結果おーらいかな?
もう全員で会うことはないと思うと、とても悲しいけどこのJPY43rdのメンバーになれたことは最高の思い出です。
事業は終わっちゃたことだし新しい目標を見つけそれに向かってまた走り出したいと思います。
写真ってすげぇなって思った瞬間
こんにちは!しょうちゃんです。
初めましての方はこちらから
今日FacebookでシンガポールのWeiが写真をタグ付けして載っけてくれました。
それがこの一枚
これの写真を見たときに、写真ってすげぇって心から思いました。
この一瞬は自分でもとても大切な瞬間で、その瞬間を残してもらえてることが何よりもの感動でした。
俺は結構写真は撮る方で、周りの野郎連中は全く取らない奴らが多いです。
自分が写真を撮る理由として
記憶は色あせていってしまうから。
どんな大事な思い出も時間が経つと薄れて行く。まるでそこまで大切ではなかったかのように。
今回この写真をみて事業中にプレス係として写真を撮ってくれた方々に改めてもう一度お礼を言おうと思いました。
大切な一瞬を永遠に保存してくれる写真。
自分もいつかこんな写真を撮ってみたいなって思いました。
棺桶リスト 〜死ぬまでにやりたい100のリスト〜
こんにちは!しょうちゃんです。
初めましての方はこちらから
タイトルの通り、棺桶リストなるものを常に付け加えながら生きてるのですが、
アイフォンのメモに記入してるだけなので、あまり普段意識しないし、なくしたら終わりなので、データとして保存したいと思い今回記事にしました。
全部過去形ですが、過去形のが叶うらしいよってことで過去形です。
- ファーストクラスに乗った
- ディズニーデートした
- バンジージャンプした
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回らないザギンでシースーした→2021年8月7日に徳間社長にご馳走なった
- ギロッポンでシースーツ →2018年10月5日に内定者課題で優勝して社長に寿司はせ川でご馳走になった
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USJ行った
-
スカイダイビングした
- 10件はしご呑みした
- ウユニ塩湖に行った
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兄弟3人で海外旅行した→2016年2月にシンガポールとマレーシアへ!
-
東南アジア青年の船に乗った→SSEAYP43期として参加!
- 自分の子供にダッフィーの着ぐるみを着せてディズニーに行った
- 宇宙に行って地球を見た
- ドローンを買った→2017年4月12日購入
- 富士山で御来光をみた
- 世界一周した→2019年2月20日〜3月19日で達成
-
話題のエアソファーを買った→休学の記念に2016年7月に購入!八丈島で使用。
- NZのホストファミリーのおばあちゃんに会いに行った
- 気球に乗った
- またスタジオでドラムを叩いた
- フランス料理のフルコースを食べた→ブラッスリー ポール・ボキューズ 大丸東京 でご馳走してもらう。
- ゴッホのひまわりをみた→3月28日、損保ジャパン日本興亜美術館にてwithほてぃ
- 車の免許取った→2018年7月4日に取得
- 両親をご飯に連れて行った
- 広島の原爆ドームを見た
- プラネタリウムに行った
-
TABIPPOのイベントに参加した→2016年9月に参加http://u0u1.net/AT4J
- 一眼レフを買った
-
レーシック手術を受けた
- RADWIMPSの生バンドを聞いた→2019年8月17日サマソニにてwithたわちゃん
- フェスに行った→2019年8月17日サマーソニック東京参戦
-
新聞に載った→ベトネムの新聞に掲載されました!
-
シェアハウスした→2017年4月1日マリーハウス入居with翔平
- 自分のことを講演した→2018年6月28日に愛知県の高校の3クラスに向けて講演させてもらった。
- 自分の車を買った
-
マチュピチュに行った
- サインした
- 30万以上の時計を買った
- カジノに行った→2018年7月16日にダナンのCLUB99で8千円負ける。
- ホリエモンにあった→猫ひろしの映画の試写会でお会いした
- 株を買った→2021年7月1日に購入
- 100cm以上の大物を釣った
- 蛇を首に巻いた→原宿のヘビカフェで巻いた
-
コピルアックを飲んだ→インドネシアのイオンで購入し日本で飲んだ
- ブロードウェイでミュージカルを観た
- ラグビーの試合を生で見た
- 占いをしてもらった
- クラブに行った
- オーロラを見た
- 歯のホワイトニングをした
- マリーナベイサンズに泊まった
- ヘリコプターに乗った
- プロジェクターを買った→屋根裏を書斎&シアタールーム化する際に購入。
- ONEPIEACE最終巻を買った
- 大自然でキャンプした
- 無人島に宿泊した
- オリンピックの開会式を生で見た
- 家族全員を海外旅行に連れて行った
-
生の星で天体観測した→2016年SSEAYPでの観測会にて。隣で寝っ転がってみてたインドネシア人の匂いが超いい匂いだった笑
- スピリタスを呑んだ
- 別荘を所有した
- トルコでトルコアイスを食べた→2019年3月3日の世界一周中に達成
- 叙々苑で焼肉を食べた→2021年母の日でご馳走した!
- 年収1000万を超えた
- ロケットの発射を生で見た
-
NASA宇宙センターに行った
- Googleで飯を食べた
- シリコンバレーに行った
- ドンペリあけた
- サバゲーした
- フルマラソン完走した
- 屋久島で縄文杉を見た→2015年6月に見たwith翔平
- 本を出版した
- BMIが正常値に戻った
- 起業した
- 歌舞伎座で歌舞伎を見た
- 砂漠で満天の星空を見た
- 本物の銃を撃った→2019年3月16日カリフォルニアで撃った
- ジンベイザメと一緒に泳いだ
- キャビンメイトとリユニオンした→2019年2月23日にEdの結婚式で再会
- SSEAYPのキャビンメイトを日本に招待した
- もう一度SSEAYPに参加した
- 最高の結婚式にした
- 神戸牛を満足するほど食べた
- 1年以上海外で生活した
- 情熱大陸に出演した
- ミシュランガイドの星を獲得しているレストランに行った
- 壁一面を本棚にした
- 青森弘前公園で満開の桜を見た
- 戦闘機に乗った
- キャンピングカーで旅に出た
- シンフォニー・オブ・ザ・シーズでクルーズした
- 7つ星ホテルに泊まった
- 象使いの免許とった
- 47都道府県訪問した
- 100兆ジンバブエドルを手に入れた
とりあえず100個作ることを目標に頑張りまーす!
作るだけじゃなくて達成もねw