電気もガスも水道もない山岳少数民族の村にホームスティした話。
こんにちは!しょうちゃんです。
初めましての方はこちらから
Facebookの何年前の今日はこんな日でしたってシステムを考えた人に拍手を送りたいと思ったことは何度もあります。
あのシステムのおかげで昔を思い出すことができて、今の自分の背中を押してくれる。
そんなシステムによって4年前のことを遡ることができたので共有したいと思い記事にしました。
それは高校2年の時、タイ大使館のプロジェクトに参加した時のこと。
この経験があったおかげで東南アジアに対する偏見がなくなり興味を持ちAPUという選択肢が生まれた。
そんな四年前にその時感じたことを記録していたのでここに記載させてもらうことにしました。
2013年3月30日
チェンマイ中心地から、車で2時間その後、山を2時間30分登って着いた山岳民族の村に二泊してきた。その村は電 気も水道もガスもないところで村人はわずか30人程。 着いた初日はクタクタですぐに寝てしまったけれど、寝床も 村長の高床式の家で家の壁は木と木を張り合わせただけで 蚊帳を使わなかったら虫と一緒に寝ることになっていた。 一番苦労したのは冷たい飲み物を飲めなかったことだ。昼間は平均気温27ぐらいでめっちゃ喉が渇いているのに飲めるのは生ぬるい水だけ。正直これが一番辛かったかも しれない。 村の人たちは本当に優しい子ばっかりでみんな仲がとても良かった。 お互いがお互いを助け合って生きていることが強く感じられた。 一番驚いたのは、結婚したりして都市には行きたくないと一人の少年が言ったことだ。みんな都市 に憧れているものだと思っていたのに、今のままずっと山 でこのまま暮らしていきたいと聞いた時に本当に今の暮ら しが幸せなんだなと思った。 俺らからしたら失礼だけど可哀想とか思ってしまったけど、彼らにとってはとっても幸せなんだ と思った。 村のみんなに何が一番したいか聞いた時にみんなが海を見たいと答えた時はどれほど純粋なんだろうと思 った。川から水を持ってきて貯めるコンクリートで出来た タンクには太陽や山とか自分たちが見たことのあるものし か書いていなかった。 大輔も言っていたけど、いつか海を見てもらいたいしもっと世界を知ってもらいたいと思った 。 本当に彼らは欲というものがなくてとても眩しい存在だった。人のために自分がしてあげられることをするのが当 たり前のような行動は、俺には到底無理だと思う。 みんなが川で楽しそうに遊んでるのに俺らがご飯を食べるためにわざわざ竹から割り箸を作ることが俺には出来るだ ろうか。 彼らは自分はどれだけ本当の幸せを忘れてるかを気づかせてくれる。幸せの基準というものを俺らは欲のせ いで高いところにあるんだと思う。だから当たり前という 言葉が出来てしまうだと思う。学校に毎日通える事も親が いる事もこの村では当たり前ではない。俺らの当たり前の 事がどれほど貴重なものか。彼らからは多くのことを学べたと思う。今自分が彼らにし てあげられることは本当に少ないと思う。だけど、これか らもずっとこの気持ちを忘れないで、自分に出来る小さな ことから一つずつやっていけばいずれ大きなことに変わっ ていけると思う。 言葉は通じなくてもお互いの表情などから通じ合えたことは本当に素晴らしいことだと思う。大輔はどこにいっても周りに人を集める才能を持っている んだなぁと実感した。あいつの才能には本当に嫉妬する。 あいつから学ぶことはたくさんあるけど、素直に受け入れ られないんだよね。 それから明人兄ちゃん。村では日本語、英語、タイ語、村の民族語の四つの言語が飛び交う中で ゆういつ三つの言語を完璧に使いこなしてる姿はとても尊 敬した。俺も一回経験があるからわかるけど俺らの日本語 を英語やタイ語に翻訳したりするのは本当に疲れる作業だ ったと思う。このプログラムに参加させてくれたこと。そ してタイにいる間のサポートに本当に感謝したいと思う。俺の倍を生きていてあれだけの事が出来るなら俺にもでき るはずだと思って頑張っていきたい。 早く英語を完璧にして第三言語を学びたい。 そして大学生や社会人になった時にもう一度だけ山岳民族の村に行きたい。今回行った時の気持ちとはまた別の気持 ちをもっていけると思う。そしてまた改めてこの気持ちを 感じてきたい。
タイで山岳少数民族の村までの案内をしてくれた現地コーディネーターの方曰く、交流した子供達の中ですでに亡くなってしまっている子供もいると聞いた。
本当にショックだった。でもこれが現実なんだって思った。
こんな平和とは程遠い世界を少しでも良い世界にできるように、もっと自分も頑張っていかなきゃって思えた3月30日でした。